追いコン

あと2か月もすれば多くの友だちは大学を卒業していく。私が大学に帰る頃にはほとんど卒業しているのだ。それは留学する前からわかりきったこと。
先日、サークルの「追いだしコンパの日程が決まりました。」というMLが流れてきた。もちろん私は参加できない。ここから北京までは電車何本もあるし、北京から東京までバンバン飛行機飛んでるし、大学東京だし、行こうと思えば行けないことはない。だから「参加しない」ってほうが正しいのかもしれない。
留学前、太原はもっと遠いところだと思っていて、「追いコン行けないの寂しいって思うんだろうな」って考えてたけど、今、全くそんな気がしない。早慶戦の時は早慶戦行けなくて悔しい〜寂しい〜って思ったのに(←今だから言っちゃう笑)何だろうこの感覚。自分はこんなに薄情者だったのか。追いコンを企画する後輩への感謝、卒会を一緒に祝ってくれる後輩・先輩への感謝、4年間一緒に頑張ってきた同期と一緒に卒会する喜び。それが「追いだされる者」の追いコンの醍醐味だろう。
「追いコン参加しなくても全然寂しくない私は薄情者?」という私の問いに母はさっき「いつかまた会えると思っているからじゃない?」という答えをくれた。私は彼らに会おうと思えばすぐ会えると思っている。それも1つの正しい答え。
サークル振り返ってみても楽しかった事のほうが多いし、仲間も好き。でも私は今、距離も心も追いコンから遠く離れている。「みんなとはいつでも会えるから」という答えだけじゃない、何か複雑なものも奥深くに眠っている、ことも事実。ごちゃごちゃ言ってないで、サークルのことを「こんなこともあったよね。」と気軽に思い出話をできるような人になりたい。
…とか言って3月ごろ追いコン行きたい〜とか騒いでたりして、ね。