はてなブログ

はてなブログを始めてみた。
こっちにずーーっと書いておこうかなとも思ったけれど、昔の文章みられるのは恥ずかしいので。もしかしてIDからこのダイアリーも見つかるのかなとも思ったけれど、それはそれで仕方ないか。
最近よく思い出す先輩に言われた言葉「どうにでもなれーって笑うよね」
そう、問題が起こってから考えればいい。この世界を動かす力は私にはない。それなら何か起こったときにどうにかすればいいのだと思う。世界に操られて私は生きている。

何を言いたいかもはやわからないけれど、ここならいいや。
ということで、はてなブログはこちら
http://tortilla.hatenablog.com/
ダイアリーのほうを消そうとは微塵とも思ってないので、またそのうちかくかもしれない。
書きたいことを書きたいだけ、

我的歌聲裡 曲婉婷

この曲に出会ったのは友人の車の中。(今の彼氏だけど当時は友人w)
目的地まで6時間ほぼ二人きりなんていう今考えれば何の気もない男女だったらありえないようなシチュエーションの中聞いた曲うちの一つがこの我的歌聲裡。彼が「大陸の歌手って台湾人と同じ歌い方するのに、話し方全然違うんだよね。なんでだろう。」ってひとりごとのようにつぶやいていたのを覚えている。
中国語の歌はほぼ歌詞が聞き取れないけれど、この歌は聞き取りやすく、自分もいつかカラオケで歌えるかなーなんて思いながら聞いていた。それ以来お気に入りでよく聞いている。

你存在我深深的腦海裡 我的夢裡 我的心裡 我的歌聲裡

昨日の夜はみんな寝てしまっていたので、ひとりの時間を満喫した。
本当は仕事で疲れ果てて、彼ととりとめのないどうでもいいようなおしゃべりをしたかったんだけど、相手も疲れ果てて寝てしまっているのなら仕方がない。一緒に食べようと思っていたクッキーをひとりで食べて、ネット一通り見て、図書館で借りていた本を読み始めた。学生の頃、友人がmixiでレビューを書いていた江國香織の『号泣する準備はできていた』。短編集でちょっとした空き時間に読みやすい。
最近は本に没頭する心の余裕がなくて、現実のことばかりもやもや考えている。思ってることすべて話すにも相手を選ばなきゃいけない話題なので、何となく心の中に溜めがち。胸がどんどん重くなってきているのがよくわかる。
何となく不安。その不安に今つぶされそう。

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」長島猛人『知られざる中国』

知られざる中国

知られざる中国

内容はもうあまり覚えていないのだけれど、この本から中国に興味を持ったのは確かで、中国に興味を持っていなかったら、中国思想にも中国語にも興味を持っていなかっただろうと思うから、「この一冊は人生に影響を与えた」と言えるんじゃないかと思う。
この本から中国の農村に興味を持って、故事を追った旅行をすることもできて、留学中も農村に足を運ぶことができて、それらの経験は今も私に生きる力を与えてくれているし、行きたいところに行けたという達成感は困難を乗り越えるときの支えにもなってくれている。
本音を言えばさらに広がる大きな世界に飛び込みたい。でも、それはまたいつかのお楽しみ。
また行けるかもしれないし、もう二度と行けないかもしれない。
とにかく、私が外に飛び出す大きなきっかけを与えてくれた本だ。

他人の思い出と過去と私

 半年に一回くらい自分のこのブログを読み返していたけれど、記事を書こうなんて気はさらさら起きなかった。最後の記事を書いてからもうすぐ3年になるし、その間に生活もガラッと変わって、もしまたブログを書くのなら、新しく開こうなんてぼんやり考えていたし、今もそんな気がないわけではない。これは自分が自分のために書いているのであって誰かに読んでもらうことなんか想定していない。要は誰かに自分の心の中にあるものを誰かに聞いてほしいのだけれど、知ってる人に話す自信がなくて(このブログの存在を知っている知人は数人いるけれど)自分の知らない誰かが拾ってくれないかななんて淡い気持ちを抱いてる自己中なものだ。
どうして書きたくなったかと言えば、
http://d.hatena.ne.jp/Tortilla/20120708#p1
この記事を見て、他人の過去の思い出というか過去に振り回されまいと必死になるときがある今の私に訴えるものがあったから。こういう時過去の自分に勇気づけられるというかアドバイスをもらうというかそんな体験ができるっていいなって思う。やっぱり、自分の思いを書き留めておくことは重要なんだな。今文章を書く機会もめっきり減っているし、何か書くことを始めてみてもいいのかもしれない。

瀋陽と私4

ベッドに案内してもらう途中、団欒スペースを通ると何やら5,6人の団体がいた。年齢層がバラバラなように見えるけれど、いったい何なんだろう…と疑問に思いながらも、“にいはお”と挨拶。ロッカーの説明を受けてやっとベッドに転がる。思えば朝から晩まで立ちっぱなし歩きっぱなしだ。
少し休んで、シャワーでも浴びようかと考えていると「一緒に飲まないか」と団欒スペースで飲んでいたひとりが誘ってきた。出身と名前を聞かれて、「日本語の読み方は?」と聞かれて答えてふと、自分の名前が懐かしく感じた。中国語の中ではずっと中国語読みで通してきたというかそれが普通だったので、中国語の中に名前の日本語読みが入るなんてことはなかった。名前の部分だけが日本語になる。この感覚は慣れるまで大変だった。特に呼ばれたときは思わず、「はい!」と答えてしまった。(話がそれてた)
疲れているから…と断るのももったいないような気がして、参加してみると団体ではなくそれぞれが個人で様々な目的で来ていたのだ。旅行に来ていた重慶杭州西安、ドイツの学生、試験を受けに来ていた内モンゴル姉弟、仕事できていた台湾人。それぞれのバックグラウンドが違っているのに団体に見えたのがとても不思議だった。重慶の学生には戦争に対する見方を聞かれ、つたない中国語で何とか答え、内モンゴルのお姉さんはなぜだか私の笑顔をすごく気に入ってくれた。
一番びっくりさせてくれたのは、台湾人のお兄さん。。「日本の料理といえば女体盛り!笑」といわれた。当時何のことだか全く知らなかった私は「そんなのは知らない。何それ?」と丁寧に答えると、ご親切にも画像を見せてくれたのだΣ( ̄□ ̄)!ただ“oh my god!!”としか叫ばない女子学生、にやにや笑いながらわたしを見る男性陣。「何これー!?日本っておかしいー」と笑うお姉さん。わたしは(泣きたいよ)と思いながら、「こんなの知らない!」と必死に否定。まさかこんなところで初めて知る日本があるなんて思わなかった。
まぁ、何とか切り抜け、宴会もお開きになり、翌日に備えて就寝。移動距離も、出来事もすべてが濃い一日だった。

瀋陽と私3

長旅ができる冬休みがやってきた。平凡な毎日に嫌気がさしてきて、一人旅を計画した。ちょっと不安もあったけれど、好奇心の方がはるかに勝った。
友人のいる済南→日本から来る友達と妹に会うために北京→『大地の子』の舞台を訪ねに長春→リベンジ瀋陽
春運(旧正月の帰省・Uターンラッシュ)を避けるために遅めの出発した。
長春までは割愛。
瀋陽に向かうまでの列車はハルビン発青島行で硬座の車両は、人と荷物とでいっぱい。どうしたらこれだけ持てるんだ?というような荷物を運んで移動するような人は硬座に乗る。だから、人と物の溢れようは形容しがたい。ラッシュの埼京線とも、全く違う。
足の踏み場もなく身動きもとれない車両の中に車内販売のワゴンを引いたおばちゃんが向かってくる…。そんな車両に3時間も立ちっぱなし。隣のおばさんにはお前の荷物はでかすぎると文句を言われたけれど、どう見てもおばさんの荷物の方が大きい。おまけに瀋陽に着く時間しかメモしていなく、列車がどこにいるかも全くわからない。車内放送くらいあるだろうとたかをくくっていたのが間違いで、放送なんて全く聞こえない。
そんな中、「お嬢ちゃん、座りなよ。」と声をかけてくれたおじさんがいた。疲れ果てていた私はおじさんに甘え、座らせてもらうことにした。数人の仲間と一緒だったようで、ビールとつまみで楽しそうにしている。いくつだ、どこに行くんだとか話しかけられて、適当に答えて黙っていると、恐ろしい一言が聞こえた。方言の中に「…小日本…」という言葉が聞こえた。血の気が引いた。日本の蔑称だし、ここは東北地方。(今私が日本人だと知られたら、何されるかわからない)と感じた。(席を追い出されるのはもちろん、この車両の人たちから袋叩きにされるんじゃないか)と考え、それからはずっと黙って座っていた。
さらにしばらくすると、車掌さんが来て、おじさんたちに「身分証を見せろ」と言ってきた。そこでも血の気が引いたが、それはなんてことない、「車中に酒を持ち込むな」ということだった。一安心。私は相当ひどい顔をしていたのか、後で 「驚かせちゃってごめんねぇ」と言われてしまった(笑)
おじさんたちのおかげで瀋陽で降りることができ、安心したけどもうクタクタ。しかも列車が遅れたせいで路線バスはもうなかった。怖がることも忘れてタクシーに乗り込み、予約しておいたホステルに向かった。
着いたときはもうヘトヘト…。オーナーさんは「日本人でよくここまで来れたねぇ」とか「ちょっとロビーで休みな」と気遣ってくれたけれど、私は「早くベッドに案内してくれ〜〜」と切実に願っていた。